2025/07/07

『消費のステータス』からの卒業 〜本質へ投資する社会へ〜

高級車に乗る人は成功者、ブランドバッグを持つ人が羨ましい──そんな風潮、いまだに周りにありませんか。高額な家賃のタワーマンションに住んだり、高収入の肩書きをひけらかしたり、「目に見える消費」で自分の価値を示そうとする考え方です。しかし正直なところ、私はずっと違和感を覚えてきました。人の価値は本当にお金や物で決まるのでしょうか?他人と比べたり人からの評価ばかり気にしたりするあまり、肝心の「自分が大切にしたいもの」を見失ってはいないでしょうか。

実際、「人の価値はその人自身の中身で決まる。要らぬ加飾に気を取られて価値判断を誤ってはならない」という指摘もあります。確かに、高級車や高級時計で武装していても、それだけで人格まで高尚になるわけではありません。物や肩書きに頼らずとも輝いている人、逆にお金持ちでも謙虚で穏やかな人に出会うこともありますよね。私は30歳の頃、そのことを痛感する出来事を経験しました。



六本木VIPルームで知った「本当の豊かさ」

今から十数年前、知人のつてで六本木の高級クラブのVIPルームに週5回招かれていた時期がありました。一般フロアではシャンパンタワーや派手なパフォーマンスで盛り上がり、お酒のボトルを入れて見栄を張っている人も多く見受けられました。それが「楽しい夜の過ごし方」なのかもしれませんが、正直どこか背伸びをして無理をしているようにも見えます。ところが、一歩VIPルームに足を踏み入れると、雰囲気はがらりと違っていました。

VIPルームにいたのは著名な経営者や資産家の方々でしたが、皆さん金銭的な話題にはほとんど触れません。むしろ、「どうすれば限りある時間を有意義に使えるか」「自分を育ててくれた地域社会に何を還元できるか」といったテーマで穏やかに語り合っていたのです。ある実業家は「自分の価値は銀行口座の残高では測れない。使った時間の質で決まると思うんですよ」と笑っていましたし、別の方は地元の教育支援プロジェクトに私財を投じていると静かに教えてくれました。お金そのものを価値基準にせず、あくまで「お金は目的ではなく手段」という前提で人生を楽しんでいるように見えたのです。

私はその光景に衝撃を受けました。同時に、「本当に豊かな人ほど落ち着いていて、自分の信念や想いに従って生きているんだな」と感じたのです。実際、彼らは事業の上でも短期的な損得勘定より信念を重んじる傾向がありました。結果として、そうした人たちの周りには不思議と人もお金も集まってきているのです。DEVOTION GOLD CLUBで私たちが心掛けているように、信念や志を大切にして事業に取り組む姿勢が、結果的にお金さえも引き寄せているのでしょう。私はあの夜、心の中で「もしこの人たちが明日全財産を失ったとしても、きっとまたゼロから楽しく人生を切り拓いていくに違いない」と確信しました。お金がなくなっても奪えないもの──それこそが本人の中にある「本質」なのでしょう。


投資とは何か?お金以外のリターンを考える

ところで先日、日経新聞の文化面に「投資とは何か」という記事が掲載されました(2025年6月29日付)。その中で筆者は「投資はお金を殖やすためだけの道具ではない」と述べています。自分のためだけでなく、自分が暮らす社会が豊かになること自体がリターンになりうる、という趣旨です。私にはその言葉がとても腑に落ちました。思い返せば、私たちは「投資」というとすぐに株や不動産でお金を増やすことを連想しがちです。しかし本来、投資の意味はもっと広いはずです。

実際ある資産運用会社の代表は、「お金、時間、愛情など自分にとって大切な何かを、自分が大切だと思う何かに使うことすべてが投資」だと語っています。見返り(リターン)は金銭の場合もあれば、心の充足や自己成長という形かもしれませんし、何も見返りを求めない無償の投資だってある、と。投資とは本来、お金だけの話ではないのです。この言葉を聞いたとき、「なるほど、家族や友人に注ぐ愛情だって最高の投資と言えるのかもしれない」とハッとしました。

では、「お金以外のリターン」が得られる投資とは具体的にどんなものでしょうか。身近な例の一つがクラウドファンディングです。昨今はインターネット上でプロジェクトを立ち上げ、不特定多数の人から資金を募るクラウドファンディングが一般的になりました。そこでは地域活性化や伝統文化の継承、福祉支援など様々な志ある企画に、多くの人が共感してお金を出しています。たとえば、ある空き家再生プロジェクトでは目標額を大きく上回る400万円以上の支援金が207人から集まりました。支援した人たちは金銭的リターンを期待しているわけではないでしょう。自分たちの街を良くしたい、面白い試みに参加したい──そんな純粋な想いが原動力になっているのだと思います。

もう一つ、私が感銘を受けた例をご紹介します。今年、石川県能登地方で老舗和菓子店の復興を支援するためのクラウドファンディングが組成されました。創業100年以上の老舗「中浦屋」さんが能登半島地震で被災し、工場や店舗が壊滅的な被害を受けたのですが、地元の有志やファンがその再建資金を募ったのです。特徴的なのは、このクラウドファンディングへの出資金の使われ方です。出資いただいたお金の半分は事業への出資金(将来の分配の原資)に、もう半分は寄付金として企業に提供される仕組みになっています。つまり「儲けたいからお金を出す」のではなく、「大好きな伝統文化を未来に残したいから応援する」という性格が強いのです。実際、中浦屋さんの復興ファンドには続々と支援者が集まり、「未来にぜひ残してほしいお菓子だから微力ながら応援します」といった声が寄せられていました。私も能登のお菓子「丸柚餅子(まるゆべし)」の存在をこのクラウドファンディングで知りましたが、投資をきっかけに日本の素晴らしい文化を知る機会にもなり、とても心が温まりました。

このような動きは金融の世界でも「社会的インパクト投資」という概念として広がりつつあります。社会的インパクト投資とは、経済的な利益を追求しつつ社会や環境にも良い影響(インパクト)を与えようという投資手法です。「金銭的リターンのみならず社会貢献もできること」が最大のメリットだとも言われています。実際、利益だけを目的にした投機と比べ、たとえ思うように儲からなくても「誰かの役に立てた」という実感が残るぶん、満足度が高いという指摘もあります。お金の増減以上に得られるものがある──それが社会的投資の魅力ですね。


社会を豊かにする「想いの投資」を広げよう

私は金投資を含め様々なお金の話題を扱っていますが、いつも心に留めているのは「結局は想いが大事」ということです。お金は数字で増減しますが、その背景にある人々の想いやストーリーこそが本当の価値を生み出すと信じています。消費をステータスの飾りに使うのではなく、想いを乗せたお金の使い方をする人が増えれば、きっと社会全体がもっと豊かになるでしょう。

お金は道具ですから、使い方次第で世の中を良くも悪くもできます。高級品を買うこと自体が悪いとは思いません。私もきれいな車や時計を見るのは好きですし、それ自体に職人技や美しさが宿る場合もあります。ただ、「それを持っている自分が偉い」「他人より優れている」といった承認欲求のために消費を重ねても、キリがないどころか虚しさが残るのではないでしょうか。むしろ、自分や誰かの想いを実現するためにお金を使ったとき、人は本当の満足感を得られる気がします。たとえば地元に小さな図書館を寄贈したり、若い起業家にクラウドファンディングで少額でも支援したり、あるいは身近な家族にプレゼントを贈ることだって立派な「投資」です。そうした行為の積み重ねが社会の信頼や活力を育み、巡り巡って自分にも返ってくるのでしょう。

私が六本木のVIPルームで出会った方々も、結局は「誰かの役に立つこと」に喜びを感じているようでした。お金は後からついてくるものであって、彼らにとっての成功とは自分の信じる価値を社会に提供できることなのだと知りました。その姿はとても自然で、肩肘張らず豊かでした。「本質的な投資」とは何も特別なことではなく、自分の大切な想いにお金や時間を使うことなのだと思います。

最後に、本日の七夕にちなみ、私も一つ願いごとを書かせてください。どうか「消費=ステータス」という思い込みから解放され、誰もが本当に大切なものに投資できる社会になりますように。地味な志にスポットライトが当たり、真の豊かさを実感できる世の中になりますように。そんな未来を夢見て、これからも私自身、信念を持った投資を続けていきたいと思います。


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